モータースポーツ

社会主義時代の1960年代から積極的に国際ラリーに100シリーズなどで出場していたシュコダは、FIA世界ラリー選手権(WRC)に1975年、130RSのベースモデル(110R)の1.1Lエンジンを1.3LへスープアップしGr.Aマシンとして投入。総合優勝には届かないものの、クラス優勝圏内を席巻し、その"東側"からやってきた流麗なスタイリングのラリーカーは西側諸国でも大きな人気を博していった[1]。その後これを180RS、200RSへと進化させていく。

1989年にファヴォリットを投入。1.3Lの小排気量ながら、1994年には2リッターワールドカップを獲得する。翌1995年には、フェリツィアをキットカー化した、フェリツィア・キットカーを投入。

1999年にはオクタヴィアWRCを投入。オクタヴィアWRCの最高成績は2001年サファリラリーの3位。2003年後半からはオクタヴィアより小さいファビアWRCで参戦し、2004年のラリーオーストラリアではリタイアまで2位をキープした。同年にはラリージャパンにもワークスとして2台が初出場した。

ワークスチームとしてのシュコダは2005年でWRCから撤退し、2006年から2008年、セミオフィシャルのレッドブル・シュコダチームとして引き続きファビアWRCで参戦した。同年のラリーカタルーニャで5位、2007年のラリー・ドイチェランドでも5位の好成績をおさめている。

2009年からはプロダクションカー世界ラリー選手権(PWRC)と、FIA統括のもう1つのラリー選手権、インターコンチネンタル・ラリー・チャレンジ(IRC)にマニュファクチャラー登録。それぞれ新開発のファビアSuper2000で参戦した。PWRCでは開幕戦のラリー・ノルウェーで初優勝。IRCでも ラリー・オブ・スコットランドでの初優勝を皮切りに毎回上位に入賞、かつてない成功を収めている。